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「聖地」甲子園で繋いだ想い╱甲子園大会ディレクター・杉山智広

 野球の「聖地」と言われる阪神甲子園球場。この場所で2023年11月14日に史上初めて大学準硬式野球の東西対抗日本一決定戦が行われた。準硬式野球とは硬式と軟式の間に位置すると言われる準硬式球を使用して行う野球でルールは硬式とほとんど変わらない。現在全日本大学準硬式連盟は東西9ブロックから成り、「アマチュアスポーツの精神に則り学業との両立を目指す」ことを目標としている。硬式野球部のように専任の指導者や監督・コーチがいて学生寮や専用グランドを持つ野球部は少ない。またアルバイトをしながら活動する学生もいる。硬式野球とは異なるフィールドで野球に向き合っているのが準硬式野球だ。

 大会当日球場の隅から甲子園を見つめる一人の男がいた。男の名は杉山智広、甲子園大会ディレクターだ。彼がいなければ大学準硬式野球の選手が「聖地」甲子園でプレーすることはなかっただろう。「準硬式を甲子園で」を掲げて大会を実現させた発起人であり、最大の功労者だ。杉山は22年前、夏の甲子園大会に日大三高の主将として出場し、真紅の優勝旗を手にしている。あの夏に誰よりも長く甲子園を体感した杉山は「甲子園は胸が躍る場所」と表現する。どんなに球場が近代化しても甲子園が奏でる土と風の匂い、差し込む太陽の光、ブラスバンドが発して反響する音、その全ては他の球場では味わえないものだと言う。

日大三高の主将として真紅の優勝旗を手にする杉山

 杉山と準硬式野球との接点は大学時代に遡る。進学した日大で準硬式野球部に入部、捕手として2年次に全国優勝、4年次には全国準優勝を経験した。なぜ硬式野球ではなく準硬式野球を選んだのか、それには理由がある。準硬式野球部の学生は野球だけではなく学業はもちろんのこと、アルバイトなども経験できる環境で学生生活を送る。練習環境が必ずしも整っているわけではなく、選手や学生スタッフが主導となって野球を向き合うことに魅力を感じたと言う。

 杉山がコーチを務める日大準硬式野球部は2022年に全国大会優勝、2023年は準優勝校であるが彼が選手と接するのは週末だけであり、専用のグランドや寮を完備していない。休日は公営の球場、平日は早朝から体育会寮の中庭を間借りして設置された狭いゲージの中でバッティング練習を行い、技術の向上を目指す。そんな環境にいても選手やスタッフには笑顔が絶えない。まるでこの環境を楽しんでいるかのようだ。自分達で考え、自ら率先して行動する。それは簡単に出来そうで誰しもが出来ることではないだろう。短時間しかない練習時間で効率的に成果を出すための工夫や日々のミーティングを重ねて野球に向き合う。彼らはただ野球が上手くなるだけではなく野球人として人間としてどうしたら成長できるのか、それを追い求めているように感じた。ここで経験した時間は自分達の将来に繋がっていくことを選手、学生スタッフ自身がよく理解しているのだろう。高校時代は甲子園常連校を含む強豪校の硬式野球部出身者も多く在籍しているが大学時代に硬式野球部ではなく準硬式野球部というフィールドを選んだのは新しい環境で野球人生を送ってみたいという想いがあるようだ。

 杉山が本格的に甲子園大会開催を目指してスタートを切ったのは7年前。甲子園での開催にはたくさんのハードルが待ち構えていた。全日本大学準硬式野球連盟の理事を務める彼はまず、連盟内で甲子園大会開催へ向けての議論をスタートさせた。甲子園は市民球場のように誰でもいつでも気軽に使用できる場所ではない。春夏の高校野球、阪神タイガースのホームゲーム、アメリカンフットボールの甲子園ボウルなどイベントが多く、一般的向けに開放される期間は11月中旬から12月中旬までの僅か一ヶ月間しかない。その上で大会の趣旨などを書いた企画書を準備して甲子園側の審査を得て初めて開催が可能となる。開催が決まれば経済的負担も考えなければならない。それでも杉山が甲子園にこだわるのは「環境が人を育てる」という理念があるからだ。杉山は言う。「甲子園で経験した時間は私の人生の根幹になっています。高い目標があるからこそ、苦難を乗り越えることができ、思考力を高めることができます。甲子園に出場したことでたくさんの人に注目してもらえ、そして注目されることで自身の成長へと繫がりました。自身が野球人として経験したことをまだ甲子園の土を踏んでいない学生達にも経験してもらうことで学生達の将来に明るい光照らすことが出来ると思う」と語る。

 今大会はただ甲子園で野球をするだけではなく3日間に渡り様々なプログラムが組まれている。1日目は地元の小中学生との野球交流会、2日目は大阪市内の球場でプレゲームを開催、夕方からはJOCから講師を招いてのインテグリティ研修会、その後企業からゲストを招いての夕食交流会と続き、卒業後の視野を広げる目的と準硬式野球を通じて子供達に野球の楽しさを伝えていこうという試みが組まれている。これらを準備段階から学生で構成されるプロジェクトチームが中心となって動く。ここにも学生主体という準硬式らしさが見える。

 2日目の全てのプログラムを終え、甲子園を明日に控えた選手に向けて杉山が送った言葉がとても印象的だった。
「明日は綺麗なユニフォーム姿で、そして最高にかっこいい姿で甲子園の舞台に立ってほしい。私が皆さんの一番のファンです。」
この言葉を聞いた学生達は改めて気持ちが奮い立っただろう。

 11月14日の大会当日は2試合が組まれていた。1試合目はエキシビジョンマッチ。昨年雨天で中止となってしまった第一回甲子園大会のメンバーが集結して1年越しの晴れ舞台を経験する場が用意された。そして2試合目は今年選抜されたメンバーの試合。カメラ席には普段高校野球を中継するABCテレビ関連のカメラクルーがスタンバイして配信中継され、スタンドにはブラスバンド部が駆けつけ、応援歌が球場内に響き渡る。

「聖地」甲子園に立った全国9ブロックから書類選考で選抜された東西対抗チームのメンバーがベンチから飛び出していく。シートノックには大阪で準硬式野球をプレーする中学生を招待し、学生と一緒に甲子園でボールを受けてもらった。これは杉山の想いが波及してプロジェクトチームから発案された。彼らに甲子園の空気を肌で感じてもらい、野球の楽しさと魅力を最高の場所で感じ取ってもらうためだ。中学生の一人はグランドに立った瞬間に「夢みたいだ」と嬉しそうな笑顔を見せた。

 エキシビジョンマッチ、東西対抗戦は審判も学生達で構成されている。「ストライク!」「セーフ!」という判定の掛け声がどこか初々しく、清々しい。彼らにとっても夢の晴れ舞台となったようだ。この中からプロ野球の審判を目指す者も出てくるかもしれない。

 東西対抗戦は登録された多くの選手が出場出来るよう投手交代、代走、代打と選手と入れ替わっていく。選手達はここで全てを出し切るように一球ごとに全力投球、全力疾走、フルスイングを見せる。真剣勝負の中にも伸び伸びとプレーするその姿は野球が好きで初めてボールを持った時の野球少年のようだ。そこには勝敗だけに重きを置くのではなく、大好きな野球をやり切って野球の魅力を精一杯享受すること、それは彼らがこの先社会に出て生きていく上で大きなプラス材料になることを確信しているのだろう。

 試合は東日本代表が勝利を収めた。勝利の瞬間にメンバー全員がマウンドの上で歓喜の輪を作る。その姿を見つめる西日本代表が目に入った。勝負である以上、勝者と敗者がいる。しかしこの日の試合はこの場所を作った全ての学生達が勝者となったはずだ。いや、学生のみならず、大人たちも勝者となったに違いない。構想が立ち上がってから7年を経て杉山が伝えたかった想いが実を結んだ瞬間だった。

 試合終了後、甲子園の土の上に立った杉山は言った。
「22年前に僕が見た景色と何も変わらない、やはり甲子園は特別な場所です」
 野球の上手さだけでなく人間としての成長を願う「野球人」杉山からのメッセージを学生達は受け取ってくれただろう。彼らはこの経験を持って人生という勝負に挑んでいく。
(文/フォトグラファー 中西祐介)