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来年こそは「第0歩」を「第1歩」に。 /甲子園大会手記・今井瑠菜(日本大)

なんとか持ち堪えると思われた雨も、だんだんと雨足が強くなり、あっという間に甲子園球場のグラウンドが一面の水溜りとなっていった。それを見たとき、我慢していたはずの涙が自然と溢れ、まるで雨のように流れていった。率直に、悔しい思いでいっぱいだった。

準硬式野球史上初、阪神甲子園球場にて行われる予定だった「全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会」は、「雨天中止」が決定した。

それでも、「令和4年11月13日(日)」、
この1日が準硬式野球界の1日を大きく動かした日と言いたい。

■学生主体のプロジェクトチームの苦悩と打開
 今年の5月、学生主体の大会プロジェクトチームが発足された。中国地区代表・西椋生(岡山大3年=向陽)、関西地区代表・中山雄登(京都先端科学大4年=敦賀気比)、東海地区代表・近藤みのり(愛知大4年=桜台)、関東地区代表・池田有矢(早稲田大2年=名東)、そして筆者、今井瑠菜(日本大2年=日大鶴ヶ丘)の5名で編成された。

選手を輝かせるためのプロジェクトチームは裏方に徹し、数多くのミーティングを重ね、試合当日までの約半年間を過ごした。そこには苦悩も多かった。

1番は、やはり「価値観の違い」だった。
学生主体だからこそ、価値観が違ったときの対応が難しい。それぞれの意見を尊重しなければならないが、全国の学生が集まって意見を交換する場がない。今後の課題として、全国の学生が集う全日本大学準硬式野球連盟をさらに活性化させていくことがさらに課題となる。そのことを今回の甲子園大会を通じて痛感した。

池田は「全国から人が集まればそれぞれ価値観も違い、多くの壁にぶつかりました。この壁を乗り越えることが一番苦労したことだと思う」と振り返り、中山は「色々な意見がある中で、『甲子園大会を成功させる』というプレッシャーを感じた」と語る。西も、「各地区でどうしても温度差がある中、どう巻き込んでいけばいいか」と悩んだ。

しかし、我々は全国の学生から選抜されたメンバーだ。悩むだけではなく、多くの課題に全員で向き合った。温度差のあった各地区のSNS発信を近藤がまとめ、全地区にTwitterアカウントを作成した。筆者は汎用性の高いYouTubeショートを使って選手動画を拡散し「全員広報」の意識を選手にも求めた。プロジェクトチームの5人は、やれることをまずやることで困難に折れることなく、毎日前向きになっていった。

大会プロジェクトチームの(後列左から)池田有矢、西椋生、中山雄登(前列左から)今井瑠菜、近藤みのり

■裏方となって選手を輝かせる
 準硬式では多くのことを学生が自ら行っている。
今大会のユニホーム作成、SNS広報、試合のための備品発注などもそうだ。ユニホーム作成を担当した池田は、「限られた時間の中でデザインを考案することはとても大変でしたが、試合当日選手たちがユニホームを着て、グラウンドに立っている姿を見てなんとも言えない感無量な気持ちになりました」と語る。

東日本選抜チーム主将の中島健輔(日本大3年=日大鶴ヶ丘)から「(同大学である)今井さんをはじめ、プロジェクトチームのメンバーが1番残念な気持ちだったと思う。ここまで色々動いてくれて感謝しかないです。また来年、甲子園に一緒に戻ってこられればと思います」と言われたとき、筆者はこの半年間の準備が報われたと思った。プロジェクトチームは選手を輝かせるための存在である。私たちからすると、選手が中止になっても笑顔でいてくれたこと、それが1番嬉しかったのだ。

高校時代に怪我をしてしまった、マネージャーや学生コーチとして活躍したい、学生主体となって大会を作り上げたい、そんな想いを持った高校生はたくさんいるのではないだろうか。我々のような裏方でも選手と一緒に前線で活躍できる、それが準硬式野球の魅力であり、醍醐味である。

■これからの準硬式野球への想い
 この甲子園大会は数年前から開催したいという意見があった。
大会ディレクター・杉山智広氏(関東地区理事・日本大コーチ)は数年前から、この1日のために動いてきた。
中山は「杉山さんは本当に凄い。大尊敬です。」と目を輝かせながら想いを赤裸々に語る。「僕は正直、この大会を違う球場でも良いからできないかと考えていました。でも、そのことを杉山さんに相談したら『聖地である甲子園でやるからこそ意味がある。』という言葉をいただきました。杉山さんは本当に大人です。1番悔しいはずなのに。これまでたくさん辛かったけど、本当に甲子園で試合をすることが楽しみでした。僕は4回(4年)生なので、また来年って言うことはできないんです。だからこそ、西くん、池田さん、今井さんに想いは託しました」。同じチームの部員である筆者も、杉山コーチのこれまでの姿を見てきただけに、中山と同じ思いだった。

今夏の選手権で優勝した日本大。杉山氏の選手思いの指導が実った。(左から)田口琳珠マネ、杉山コーチ、中島健輔主将、今井瑠菜

 近藤は「準硬式野球はこれからどんどん成長していくスポーツだと思います。もっと認知度が上がって、今以上に多くの人に応援してもらえるようになってくれれば。私はもう4年生なので、今後関われることはないですが、ずっとずっと応援しています!頑張れ準硬!準硬が好きだ!」と叫んだ。

我々、残されたメンバーがいかに来年に繋げていけるか、想いを託された。

「来年、甲子園大会の質をさらに高められるように選手と全日本学生委員として取り組んでいきたい。」と西は話す。私たちプロジェクトチームが今年できたことは「第0歩」を歩み始めたにすぎない。筆者は来年こそ「第1歩」を歩み始められると思っている。来年晴天の中、選手が輝けるよう、4年生の想いを背負い、前進していきたい。そして甲子園大会を毎年の定例化、風物詩にしていってほしい。

「雨降って地固まる」

雨天中止となったが、確実に準硬式野球発展への基盤はできた。

今後の準硬式野球にもまだまだ注目いただきたい。

(文/日本大2年・今井瑠菜=日大鶴ケ丘)

 

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