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「学生主体=大人との関わり」を考察する。/コラム・山田力也(青学大)

本サイトの学生記者・山田が「学生主体」と言う言葉について考察した。「学生」が主役であるが、「大人」の介在無くして運営は成り立たない。「学生主体」の意義について、日大三の主将として2001年夏の甲子園優勝を経験、日本大準硬式でプレーした杉山智広理事に話を聞いた。

 準硬式野球は学生主体で運営されているというのは準硬式野球の鉄板PRだろう。ただ私はこの学生主体という言葉が先行するのはあまり好みではない。理由は学生主体の定義や内容、実態には幅があってPRの文言として曖昧すぎるから。さらには大人を排除したPRになり、それに伴って大人の存在を隠すようになってしまいかねないからである。

 準硬式野球も等しく前述の傾向を持ってしまっており、「大人」をわざわざ記事にする必要などないという意見を持っている方が多い。であるから準硬式野球の関係者ならびに、準硬式野球を応援してくださっている方々に、「大人」がどのように準硬式野球に介在し学生とどのような関係で、どんな思いをもって携わっているのかを記事にしたいと考え筆を執った次第である。

■学生委員として出会った、杉山理事
 今回取材を快諾してくれたのは杉山智広(日本大)さん。日大三の野球部に所属。1年夏、3年春夏に甲子園を経験。控え選手ながら主将を務め2001年夏に全国制覇。高校卒業後に日本大準硬式野球部に所属し2年次には捕手として全国優勝、4年次には全国準優勝を果たす。現在は日本大学準硬式野球部のコーチを務めながら東都大学準硬式野球連盟の理事長、関東地区大学準硬式野球連盟常任理事、全日本大学準硬式野球連盟理事を兼務している。杉山さんは私が学生時代最も影響を受け、勉強させていただいた方の一人だ。少しだけ杉山さんとの関係をご紹介する。

 杉山さんとの出会いは大学一年次、私がまだ関東地区大学準硬式野球連盟の学生委員として活動していたころに遡る。当時はやりたいことをただ言うだけのいわゆる普通の学生委員であった私に理路整然と「なぜそれをやらないといけないのか、どういう行動をしたらそれが現実になるのか、今の準硬式野球がそれを実現しうると思うか、を考えないと山田君も準硬式野球も発展していかないと思う」という旨を仰ってくださった。

 そこからこの杉山さんからのアドバイスを忘れることは決してなかったし、自分なりにSNSマーケティングなどを勉強し、学生委員としての活動をより豊かなものにするきっかけをくださった。

日大コーチの杉山智広さん。学生の発想を活かしながら準硬式野球に携わる。

■杉山さんは選手が運転する飛行機の副機長か?
 経歴から言えばいわゆる野球エリートの部類に入るはずの杉山さんがなぜわざわざ準硬式野球を選んだのか。結論、社会人として準硬式野球に惚れ直したということだろう。杉山さんは大学時代に教職課程を修了し高校野球の指導者になろうと考えていたという。私からしても至極当然の流れかと思うが、いま杉山さんは準硬式野球とその運命を共にしている。

「大学職員となるご縁をいただいて準硬式野球の指導者という道に出会いました。認知度の拡大への活動、枠にはまらない面白さに改めて気づきました」。

 なるほど、高校野球には指導や甲子園出場といった明確な目標はある。しかし野球の発展、枠や固定概念に囚われないことの面白さという観点では準硬式野球の方が勝るかもしれない。高校野球でも大学硬式でもなく準硬式野球の指導者として杉山さんの頭には一体どのような思考があるのか。そこには準硬式野球だからこそ成し遂げやすい指導者像があった。

「学生の満足度を特に重視しています。やらされるより自分から動いていくチームにしたいと考えています。基本的には練習も学生に任せていて、その中で気になることがあれば思考を促すようにしています」。

 日本大での杉山さんの役割はいわゆる「学生主体」が良い方向に向くための線路ではない。レールは学生で引くのだから。安易に思いつく表現は飛行機の副機長といったところだろうか。あくまでも主役は機長である学生であり基本的な判断は学生が下す。副機長である杉山さんは管制と交信し、計器類を逐一チェックして重大な見落としを俯瞰的に監視し、未然に防ぐような役割を担っているのではないかと勝手に想像した。しかしながら最初からこのような指導者であったわけではないという。

2022年夏、7年ぶりに日本一を果たした選手たちを見守る杉山コーチ(左から2人目)

■2015年。「世界」を知り、勝利主義から方向転換
「昔の自分は勝てればよい、押し付け。なぜ押し付けるのかと言えばそれが簡単だから。というようなスタイルをとっていました」。

 しかし2015年に東南アジアに視察へ行った際にその考えは根本から一掃されたという。「野球が根付いていない東南アジアに行きました。そこで、現地の人が一生懸命野球をやっている姿を見て、試合の勝ち負けよりももっと大切なことがあると思いました」。

 勝利だけを追い求めることで生ずる軋轢のようなものを感じ、考え方を変えたという。

「今は多様な経験ができる場を提供することで社会に貢献できる人間を育成したい、と考えるようになりました。教え込むという時代は古く、いわゆるマネジメントをする人間こそ指導者に相応しいと解釈するようになりました」。この思考の変化は自身の変化にとどまらなかった。「内向的なチームが明るい雰囲気になり、日大準硬がボランティアの依頼を受けるといった社会で求められることが多くなり形として変化が見え好循環を生み出しました」。

 多様な経験が出来る場を求めているからこそ杉山さんは自身がフィーチャーされることを避ける。想像するに、「自分ではなく自分が創造した場を見てほしい、ないし自分が提供した場にいる学生をもっと見てほしい」という想いがあるのだろう。

そこに対して私はアンチテーゼを唱える。受験生が過去問を解いて出題者の意図を理解するように我々、「場を提供されている側の人間」がその「場が提供されている意図」を把握することは義務ともいえる行為であり、その意図を知ることで相乗効果を生み出し、その「場が発揮する効果」は指数関数的に増大すると解している。

 だからこそこうして筆を執り杉山さんへのせめてもの感謝と、「場を提供されている側」の我々がどのように「場」を活用すればよいかという共通認識を持つ一助になればよいと考えたところである。

■「学生の意見が反映されやすい環境=学生主体」
 杉山さんは、大人の考えにはめるのではなく、学生の豊かな発想を活かした学生がやりたいことの吸い上げをしたいのだと語る。また冒頭に出した「学生主体」というテーマはここにあるはずだとも言う。

「学生の意見が反映されやすい体制こそが私の目指す学生主体です」と語る。
 学生がグラウンドを取って大会運営をする、これも非常に立派で生半可な覚悟でできるものではない。しかし、こと「学生主体」という言葉に目を向けると大会運営が学生主体かと言われれば疑問符が浮かぶ。また「学生主体」だからと言って大人がさも関与していないような振る舞いにも同様に疑問符が浮かぶ。おそらくそのような考えの根幹には先ほど杉山さんが指摘した「学生の意見が反映されやすい環境=学生主体」という発想が薄いのだろう。上記を踏まえると、事務的な業務は杉山さんの意味する学生主体の趣旨とは少し一線を画すのではないだろうか。また、学生の意見が反映されやすい環境を考えると大人の介在はごく自然かつ、むしろ必要不可欠だと私は思う。

 杉山さんは指導者としての関わり方と同じように、準硬式野球連盟に関わる際も意見がより反映できるよう、環境を整備したり、意見の体裁を整えたり、精査することを大切にしていた。

■杉山さんが見る準硬式野球の行方
準硬式野球は転換期を迎えているという。
「今まで準硬式野球を選択するにあたって大学硬式には入れないから仕方なく、といったような漠然とした後ろめたさがあったと思います。ですが甲子園プロジェクトがその壁を破る一端を担ったと思います。この甲子園での準硬式野球が定例化すれば準硬式野球は必ず変わると思っています。また、これからは一人一人が準硬式野球の広報担当として携わってほしいという願いがあります」。

 甲子園というのはただの大きな野球場にすぎないはずなのだが、野球人にとっては思い入れが全く違う夢の舞台だ。広報という観点から見ても大きな力を持つ。それは今回の甲子園プロジェクトですでに証明された事実である。

初の甲子園大会開催を記者会見で発表。「もう一度ワクワクした気持ちで甲子園を目指して欲しい」

甲子園プロジェクトについてまだご存じない方はこちらを参照していただきたい。

甲子園大会雨天中止を「HAPPY END」と言えた理由。 全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会レポート④完 - JUNKO WEB|準硬式がアツい!

 杉山さんはこの甲子園プロジェクトの第一人者として文字通り奔走し実現に漕ぎつけた。甲子園で野球が出来るという単なる事実はさほど重要ではなく、この甲子園という大舞台で野球が出来るくらい準硬式野球には力があるのだと内外に示すことが出来たことは非常に大きな意味を持つと思う。
 杉山さんは胸を張って準硬式野球を選択したと言ってほしいと語る。準硬式野球が学生のアイデンティティとなれば準硬式野球を広報する立場としてこれ以上嬉しいことはないだろう。

雨天中止となった甲子園大会だったが大会ディレクターとして挑戦する姿勢を見せ続けた

 こんなにも学生のことを考え、一生懸命に動いてくださる方がいることを知っていただければ本稿の目的は達成されたと考える。これからも準硬式野球は杉山さんのような偉大な大人と学生の自由な発想のシナジーを燃料に、準硬式野球という機体は大きく空へと飛び立つに違いない。

(文/山田力也・青山学院大3年=成蹊、写真/今井瑠菜・日本大2年=日大鶴ケ丘)