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甲子園大会雨天中止を「HAPPY END」と言えた理由。 全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会レポート④完

 11月13日の準硬式甲子園大会は雨天による中止となったが、2泊3日の遠征で学生たちは大きく成長した。東西選抜選手の合同練習、練習試合だけでなく、淡路島の野球少年たちとの地域交流、ベースボール5の体験会。甲子園では大阪の準硬式中学野球部との交流。夜は就活に向けてのキャリアガイダンスや、スポーツマンシップを学ぶインテグリティ研修を受け「準硬式とは?」「社会に生かす野球の力とは?」を真剣に考え、24時間を人間形成につなげる遠征となった。学生たちの声、そして今後の課題をJUNKO WEBライター樫本がコラムでお伝えする。

 

何かがうまく行かなかったとき、落ち込んだとき。沈んだ顏をするのはとても簡単だ。

 しかし、大会プロジェクトリーダーの近藤みのり(愛知大4年)は、グッと涙をしまい込み、笑顔でスタンドの観客に向かって挨拶をした。そして姿勢を正して、こう言った。
「準硬式野球はまだまだ知名度が低く、だからこそ、これからどんどん発展していくことができるスポーツだと思っています。ですので、皆さん、これからも、大学準硬式野球の応援をよろしくお願いします」。

最後まで気丈にふるまい、準硬式の発展を願う言葉で締めくくった。そして、流れる涙を隠しながら自分の持ち場に戻った。

「約半年間、学生主体の準備が大変でしたが、今日という日を経験し、(悪天候も含め)当日になってみないとわからないことへの対応がもっと大変だと言うことがわかりました。甲子園で試合が出来たら1番よかったですし、雨で終わっちゃった悔しい気持ちもありますがみんながまた『来年こそ!』と思えることは、バッドエンドではなく、ハッピーエンドだと思っています」

大手鉄道会社への就職が決まっている4年生の近藤にとって、来年への再挑戦はもうない。それでも表情には充実感があふれていたのは、中止が決定したあとの学生たちの表情が誰一人、下を向いていなかったからだ。約5年前の構想から始まった史上初の準硬式甲子園大会実現は、4年生たちの思いを背負った後輩が受け継いだ。

雨の中での挨拶を終え、自分の持ち場に戻った近藤は、感情を抑えきれず目から涙がこぼれた

開会式司会の池田有矢(早稲田大2年)は自分がデザインしたユニホームの甲子園披露を心から喜んだ

■「甲子園をもう一度目指せる」。その言葉をもし、学生たちが聞いたら?
「もう一度、真剣に甲子園を目指せる環境があったらどうでしょうか? 多くの野球人は心が躍るのではないかと、私は思います。そんなドキドキ、ワクワクするような大会をプロジェクトチームで準備しました」
9月28日、共同通信社で行われた記者会見で大会ディレクターの杉山智広が報道陣に向けて開催への思いを話した。今回、全国から選ばれた東西選抜メンバーには、コロナ禍で甲子園大会を奪われた2020年世代(現大学2年)の選手も多くいた。ケガや実力不足で甲子園の夢をかなえられなかった選手もいた。そんな選手たちにもう一度、甲子園という夢を持って欲しいという意味を込めて聖地での準硬式開催を行うことを決めた。
 開催には莫大な球場使用料がかかるため、関係者からは反対意見もあった。「時期尚早だ」の声も浴びせられた。杉山はスポンサー集めに奔走し、なんとか予算を確保。コロナ禍によってドキドキ、ワクワクすることが少なかった学生たちに、自己表現の場を提供した。2001年夏に甲子園優勝した日大三の元主将であり、誰よりも甲子園の素晴らしさを知っている杉山。強い信念と努力をもって、開催までたどり着いた。その姿は、日大三時代にチームワークで全国制覇を達成したあの夏の姿と重なって見えた。

大会ディレクターとして不眠不休で奔走した杉山。情熱に満ちたそのエネルギーに、学生たちは引っ張られていく

■監督もいなく、学生主体の運営。課題も多い中での「主体性」とは?
 SNSを通じた広報活動や、ユニホームデザイン、運営スケジュール管理をすべて学生が行い「自給自足」のやり方で経費を節約。「とにかくやってみよう」の精神でクラウドファンディングにも挑戦するなど、新しいやり方を模索した。
 しかし、学生主体の運営はやはり限界があった。ほころびも見えた。総じて振り返れば、苦労ばかりで課題点の方が多かった。「資金不足」。理由は明確だった。しかし誰もそのことを言い訳にはしなかったのは、そこも含めて学生たちが主体性と情熱をもって奮闘し、逞しく成長していったからだ。学生野球の本分に立ち返った、何よりの財産だった。
 その証拠に、甲子園中止が決まった後に、選手たちの口から「裏方への感謝」がまず先に出た。自分で準備し、やり切ったから不満がない。大会リーダー近藤の言葉通り、「HAPPY END」と言える世界がここにあった。学生たちのインスタグラムには、「楽しかった」「甲子園は最高」「来年こそ実現させてくれ」の文字が並んだが、中には「甲子園はやっぱり遠かった(笑)」と、その存在の大きさを再確認した選手もいた。雨天による悪コンディションで、選手たちが踏めたのは人工芝のエリアだけ。「甲子園の土」を踏める日を目指して、学生たちはまた、練習に打ち込み、人間力を高めていく。

西日本選抜の主将を務めた大手未来(大阪経済大4年=八戸大光星)は、高校時代スタンドの応援係だった。「僕のような選手でも日本一を目指せるのが準硬式」と話す

東日本選抜の先発予定だった藤中壮太(法政大2年=鳴門)は「甲子園で投げる姿を、親に見せたい」と話していた。有観客の甲子園スタンドを誰よりも楽しみにしていた

東北大の神部虎太郎(3年=仙台三)は言った。「逃げ道だと思われている準硬を変えたい。自分が頑張ってきた文武両道がもっと良いものだと伝えたい」

■筆者が準硬式にのめり込む理由
 準硬式の選手の多くは敗北感を背負った選手がほとんどだ。ケガに泣かされたり、負けた数は数えきれない。大学で硬式野球を選択しなかった葛藤や、後悔のようなものを吐露する選手もいる。神宮での六大学・東都を見て実力の差を感じ、満員の早慶戦を見て「羨ましい」と嫉妬する。ある選手は「ケガをしながらでもプレーできるのが準硬式野球です!」と一笑したが、治らないケガを抱えても、野球を楽しみたいとボールを投げ続ける選手もいるのだ。野球を始めた頃に夢描いたプロ野球選手に、誰もがなれるわけではない。その夢との惜別が、準硬式での新しい仲間との出会い、やりがいにつながっているように思う。言い訳などせず「自分」というものを発見し、努力できている人間の輝きほど、美しいものはない。
 派手さはなく、どこか控えめで、「本気度はあるのか?」と思われがちな準硬式。メディアで取り上げられることも少ない。しかし選手たちは思いやりでいっぱいであり、学生ひとりひとりが「準硬が好きだ!」と胸を張って言える光景がある。そこにある、純粋で、満たされている「優しい野球」の世界に、筆者は心惹かれているのだ。そんな人間賛歌を、学生主体で執筆する「JUNKO WEB」というメディアで伝えていけたらと思っている。
 「優しい世界」に甘えている暇はない。準硬式OBたちは2023年の開催に向け、自己満足で終わらないための準備を、翌日から動き出している。杉山も止まらずに、次の一手を打っている。不景気とコロナ禍という逆風の中、独自の戦い方を模索する準硬式。「JUNKO甲子園2023」実現に向け、性別、年齢、地区を越え、これからも「チーム準硬」が挑戦を続けていく。

コロナ禍、そして今回の甲子園中止を経験して、選手たちの甲子園への憧れはより強くなった。1年後また聖地に戻れる日を、自らの手で切り開いていく

(文・写真/樫本ゆき) 

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