“JUNKOWEB”

「嫌々やった投手」が球速18キロアップでリーグ最高峰の左投手に╱神奈川大・中川海

 神奈川大学リーグには、言わずと知れた好投手がいる。中川海(神奈川大・4年=市立橘)だ。彼はリーグ最優秀投手賞やベストナイン賞、奪三振賞を獲得したほか、2021年には、関東選抜で9ブロック大会(全国大会)に出場した経験もある。しかし彼は特別、高校の時から輝いていたわけではない。高校時代は主に一塁手や外野手としてレギュラーで出場しており、投手経験は僅かであった。

■野手志望もチーム事情で投手に。2年春に最優秀投手賞
 中川は、高校の先輩が神奈川大学準硬式野球部に入ったことから、準硬式野球に興味をもったという。バッティングも守備も大好きだった中川は、大学入学に向けて新しい外野用グローブを購入するほど野手志望であった。しかし、同期に投手がいなかったこと、そして入部初期に遊び感覚で行われたチーム内の紅白戦で、投手をやってみたところ思った以上に好成績を残し、当時の監督や先輩に勧められたことで、投手転向に踏み切り、2年春はリーグの最優秀投手賞に選出された。

 彼の投手としての野球人生は成功したかに見えた。しかし、ここから彼は苦労の連続だった。2年秋に主務を担ったことで選手との両立が上手くいかなくなったことや、背中のケガにも見舞われたことで心身共に余裕がなくなっていった。それでも投手を続けることができた理由を中川はこう語る。「野手をやらせてもらえない不満だったりフラストレーションを、その分ピッチングにぶつけることができたからだと思う。投手で結果を残して、見返してやろうという気持ちが強かった」。

高校時代は川崎市立橘で活躍した。甲子園を目指したが、強豪ひしめく神奈川大会の頂点は遠かった

■オーバースロー転向で球速が激変
 中川の球速は入学時から18キロもアップ。憧れていた左腕としての「140キロ」に達成した。「気合と根性!」と球速アップの秘訣を語る。たった一言のように思えるが、この単語の中には、計り知れない彼の努力が詰まっているのだと思う。

 実際に彼に球速の伸ばすことができた理由を聞くと、彼は悪いところを直すより良いところを伸ばすことに重点を置き、得意球であるストレートの強化に取り組んだそうだ。

 その中で、投球フォームをスリークォーター型からオーバースロー型へ変更し、また体の柔軟性を高めることや、肩や肘周りのケアを必要以上に心がけたという。これらが彼の球速アップに繋がった。また、9ブロック大会で出会った慶應義塾大のエース日比谷元樹投手の教えもあるという。「投げる筋肉は、ボールを投げることで鍛えられるから、とにかくたくさんボールを投げることが重要だと教わりました」。日比谷の助言で、週に2回のピッチングを週4回に増やしたという。このような、関東地区の全リーグが参加し交流する場のある9ブロック大会やオールスター大会での他リーグの選手との出会いが、彼にとってプラス要素となったのである。

同学年の慶応義塾大・日比谷元樹投手(写真右)から助言をもらいさらに進化した中川。関東地区の選手は他リーグとの交流が深い

■「並みの」神奈川高校球児から、関東屈指のエースへ
 さらに彼はこう語る。「並の公立校の選手でも、準硬式野球という選択肢があるし、活躍できる環境がある。大学で硬式野球をやるのは厳しいと思っている子は多いと思うが、少しでも野球をやりたい気持ちがあって、野球が大好きな気持ちがある子は準硬式野球という選択もいいのではないだろうか。」この言葉からは、彼の「野球が好き」という気持ちが溢れて見える。

得意のストレートに磨きをかけた結果、変化球との緩急で打者を抑えられるようになった

 チーム事情とはいえ、本意ではない「投手転向」だったが、中川の奮闘は結果的にチーム8年ぶりの全日本選手権出場(2021年)につながり、自身の野球人生においてもキャリアハイとなった。中川はこの状況を「実際投手をやってみて、それなりに結果を残すことが出来て良かったとは思っている。でも、正直なことを言うと試合に出れようが出れまいが、自身の野手としてプレーする世界線を見てみたかった。多少は後悔している」と本音をにじませる。

「野手として打席に立ってみたい」という希望もありつつ、秋、最後のシーズンを迎える

 自分自身の原点である「野球が好き」という思いを決して忘れなかったからこそ、技術面でも心身面でも大きな成長と遂げ、関東を代表する投手になったのだと私は考える。望んでいなかった投手転向だったかもしれないが、中川の野球人生はいま、充実している。

(文╱安藤成美・神奈川大4年=横浜平沼)