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22年関東優勝に輝いた、神奈川大・近野歩飛の成長曲線

 今回は個人的に注目している神奈川大を取材した。昨年の関東王座決定戦で、神奈川大のある投手のピッチングに感銘を受けたからだ。
 昨年の関東王座決定戦で優勝に輝いた神奈川大。今年は準々決勝で法政大に0-7(7回コールド)で敗れたが、64校のトーナメント戦で8強入り。昨年、中央大を9回1失点に抑えた近野歩飛(2年=市立橘)に話を聞いた。

昨年の関東オールスター戦で、神奈川選抜として東都選抜Aを相手に7回無失点に抑えた近野歩飛(3年=市立橘)

 近野は高校野球にしっかりと向き合う時間をコロナウイルスに奪われてきた世代だ。腰のケガもあり、夏の大会直前に復帰し思うように野球に向き合えなかったという。大学に進学し、一度は硬式野球部の道も考えたそうだが、やはりコロナ禍と腰のケガで練習出来なかった中、大学で毎日野球をするのは厳しいと考えた。川崎市立橘高校の先輩が4人もいたこともあり、準硬式野球に歩みを進める決意したという。緩いと思っていたイメージとは裏腹に試合では本気で勝ちに行く姿が印象的だったそうだ。

 ただ、神奈川大にも「制約」はあるようだ。まずは練習環境。野球場というよりサッカー場、アメフト場というほうが腑に落ちる場所で練習をしていた。長方形で、左方向に特にネットがなく実践形式の練習は出来ないという。練習頻度も「授業がある期間は週1で昼に1時間くらいで、土日のどちらかに2〜3時間練習する程度です」。他大学と比べても練習時間は短い部類に入るのではないだろうか。まして昨年の関東No.1の大学がこの練習量とは、これがまさに準硬式野球の魅力だとも感じた。設備も頻度も限られているため、近野は基本トレーニングかブルペンに入る程度しか練習せず、いつも調整をしているイメージだという。

 この練習環境に入部当初は近野に限らず、チーム内には諦めの気持ちが大きかった。しかし、近野の2つ上の学年から取り組みが変わり、結果も出始めたことでチームの文化が変わっていった。「レベルが劣っていても試合になることがあるということを実体験で学びました。また2つ上の宮崎泰地(常葉菊川出身)さんの代を越えようとする文化が勝手に現れ、環境による諦めは少なくなりました」。大学生は技術において既に完成されている部分が多く、モチベーションやそれに伴う取り組みの変化がチームを大きく変え、文化として根付くのだ。準硬式野球は指導者がいない場合が多いため、なおさら選手の小さな取り組み方一つでチームは大きく変わる。これが準硬式野球の大きな魅力の一つだ。

準硬式は専用グラウンドを持たないチームが多いが、神奈川大もその一つ。工夫した練習が考える野球のベースになっている

 チームが変われば近野も変わった。しかし環境の制約は変わらない。そんな中で、「トレーニングをして球速を上げようというよりは、フォームや変化球を磨こうと考えました。家で見た知識を試してみたりすることで、結果として高校より球速が上がりましたし、過去の自分と比べて投手として上のレベルに到達することができています」。 ストレートは最速で139キロで関東地区の中でも特段速い訳では無い。ストレートで押すよりは丁寧に投げて打ち取る。「自分のできる範囲の中でどれだけ最大化させるか」を考えている。神奈川大での文化は既に近野のピッチングスタイルにも根付いているのかもしれない。

■選抜メンバーに選ばれてからの収穫
 近野の成長は神奈川大学準硬式野球部での文化だけが寄与しているのではないようだ。自身の大きな変化のきっかけが昨年の関東オールスター戦(6月・静岡)とオーストラリア遠征(11月)への参加だった。
 準硬式野球をやって一番良かったと思うことを聞くと近野は「人との出会い」だと教えてくれた。これは自身の野球人生の中でもかなり大きな転機になったという。
「まず、自分が他大学の人と話して感じたのは、野球に対する考え方、取り組み方の違いです。やらされている感じがあっても実はすごく芯がある選手や、フォームを自分(近野)の何倍も愚直に研究する選手がいて刺激を受けました」。

選抜チームの交流が、新しい発見と向上心につながり近野の可能性を拡げている

 具体的な収穫を聞くと「法政の古川端晴輝君(2年・花巻東)にスライダーの握りを教えてもらいました。オーストラリアから帰ってきて試したらとても感触が良くて明確な収穫になりました」。近野は他校の選手と仲良くなれる気質で、自然に話すことができたという。ただ甲子園で行われた東西対抗日本一決定戦には手を挙げなかったという。「必須ではなかったようですが、条件に最高球速が140キロと記載があったので、立候補しませんでした」。私はこれを聞いて非常に残念で哀しい気持ちになった。必須でないとはいえ、定量的な基準を設けてしまっては近野のような素晴らしい選手の成長機会を摘み取るだけではないか。技術力に長けている人間だけが選ばれてしまっては準硬式野球固有の良さを何ら発揮せず、もはや存在意義さえ失っている。もちろん定性的な基準を設ける側の気持ちも十分に理解できるのだが、準硬式野球が知名度を上げる中でこのような傾向は強まって欲しくないと切に願うばかりだ。

■「甲子園大会」にエントリーできなかった現実
 近野は甲子園に出場しなかったことをバネにしているという。「個人的能力では敵わないとは思っています。ただ、そんな甲子園に選ばれる選手に比べて球速以外で魅力のある選手になりたいです」。さらに「投手として球速より、勝てる投手になりたいです。三振を取る技術は無いので、完投して勝てる投手になりたいです」と分析する。その為の施策は近野自身具体的なイメージとして持っているようで、無理してでも完投する経験を積み、打たれた後にどのように向き合うか、無駄な四死球を無くして、シングルヒット2本はOKというマインドを持つことで完投できる、勝てる投手になれるのだという。

「オーストラリア遠征に行くまでは自分なんて、と思っていました。ですが、結果も付いてきましたがそれ以上に人との出会いが取り組み方やマインドに変化をもたらしたと考えています」。準硬式野球という「場」を活用して近野は人間としても野球人としても1枚も2枚も上になった。

 準硬式野球という選択をしたからこそ、制約のある中でどのように今あるものを最大化させるかについて学び、人との出会いで新しい野球の取り組み方や考え方と出会った。準硬式野球の選択が近野を成長させているはずであると取材を通じて痛感した。近野の歩みはまだ始まったばかりだ。

今あるものを最大限に生かす。準硬式の取り組みは社会を戦うヒントにもなっていく

(文/山田力也・青山学院大3年=成蹊、写真/安藤成美・神奈川大3年=横浜平沼)