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【前編】学生から見た「関東JUNKOオールスター大会2023」舞台裏

 「体育会ナビカップ関東JUNKOオールスター大会2023」(6月30~7月2日、福島・泉崎村)は関東地区連盟の学生委員が企画運営する学生のための大会だった。学生が主体となって準備を進めてきただけに、運営は予測不能の出来事との闘いでもあった。学生委員としてこの大会に帯同した亀谷七海記者(専修大2年=専大付属)が、大会実施までの苦労、運営の奮闘、頼もしく見えた4人の4年生をレポートする。(前・後編の今回は前編)

 大会は初日から最終日まで不測の事態の連続だった。
 それぞれが万全と思われる準備を重ねた中でも不測の事態が続き、皆がその対応に追われたのだ。自分の担当の仕事をこなすことが精一杯で準備と経験、力不足を痛感する中、迅速な対応と的確な指示を出していたのが4年生だった。その存在は大きかった。聞くと、この大会が開催すら危うい中で、4年生の強い思いから大会実施に至ったという。

■スポンサー集めは難航。福島開催の実現に奮闘した江田
 地元開催に並々ならぬ思いを抱いていたのが江田真博(神奈川大4年=白河旭)だ。事の始まりは12月。オールスター大会を開催するか、しないかというところから話は始まった。昨年始まったこの大会を今年度も行う意義は何か。「オールスター開催を望む声が寄せられていたから」。昨年の大会を通して今年度も開催を望む選手の存在が大きかった。他にも多くの人と関わる中で今大会に関わってくださった方々が、親身になって大会開催に向けて協力してくださったことで、よりこの大会を開催したいという気持ちが強くなったという。

 関東選手権や全日本選手権大会出場予選会と並行しながら進めてきた今大会の準備は決して順調とは言えなかったという。主にスポンサー企業探しや、企業との連絡、連携を担った江田は、大会の開催地である福島に還元したいという思いを持って地元の企業を選び、4月末から連絡を始めた。しかし、力になれないと断られることや返信すらないことの連続で、準硬式野球について全く知らない人に向けて準硬式野球とは何かについて一から話すアプローチは困難を極め、うまくスタートがきれなかったと振り返る。

 そんな中で希望の光となったのがJA全農福島だった。キャリアガイダンスの講演だけでなく始球式や協賛までいただいた。「協賛までしていただけるとは思わなかった。講演をしていただけるだけで有り難かった」と江田は言う。

 なぜ、困難を乗り越えてオールスター大会開催に尽力できたのか。そこには去年の経験と江田の責任感の強さがあった。江田は当初帯同メンバーの予定ではなかったと言う。しかしながら事前の原案作成の段階には関わっており、去年実現されなかった開催地「福島案」が通ったことに特別な思いを持っていた。さらに昨年の経験を活かして多くの改善点を述べた。その経験を持つからこそ事前の準備には昨年以上のものを作るための多くの案を出し、形を作っていったと言う。そうするうちに「ここで当日行かないのは無責任だ」と感じるようになったと言う。自分が関わったものに責任を持ち、より良いものを作り上げたいと言う江田の覚悟と想いに驚かされた。

並々ならぬ思いで、出身地・福島での大会を成功させようと奮闘した江田真博(神奈川大4年=白河旭)

■軟式野球部の縁を生かした山根。資料作りひとつも「相手への気遣い」
 次に、山根祥太(横浜国立大4年=高崎)に話を聞いた。
 山根は昨年のオールスター大会には帯同しておらず、イメージが全くない状態でのスタートだった。全体像を掴んで仕事をするために昨年の資料を読み漁ったという。とにかくイメージすること。計画通りに行くことはないと、不測の事態も予測したリスクマネジメントを徹底した。

 野球教室に参加してもらう中学生を集めるため、福島県の多くの中学校に電話をかけ続けた。江田同様に協力していただける中学校はすぐには見つからず無理かと思ったときもあったという。それでもめげずに続けた結果、白河市立大信中学校の軟式野球部の顧問が偶然にも山根と同じ大学で準硬式野球部のマネージャーをしている部員の父であった。それをきっかけに多くの参加者が集まり、野球教室は成功へと向かっていったと言う。

「初めは何かひとつ資料を作るにも昨年の事例をもとに完成させることに集中しすぎてしまっていた」と、最初は資料を作るのに必要な情報の羅列で十分だと思っていたそうだ。しかし見る人の立場に立つことができていないと指摘を受け、目次や目を分けて見る人の立場に立って見やすいものを作り替えたそうだ。「確かにな。当たり前のことが抜けてるな…」と心を改めたという。「昨年の大会に帯同していないのでイメージが湧かない部分もあったのですが、参加した選手やスタッフの大会に対する前向きな意見を聞いたら、自分たちの代で大会を終えるわけにはいかないという想いが強くなったんです」。

副委員長の山根祥太(横浜国立大4年・高崎)は軟式野球部出身の強みを生かし、地元中学生との交流を実現させた

 そして「自リーグでチームを組み、普段リーグ戦で鎬を削っている者が味方として同じ視座で戦う。そして、各リーグの準硬式野球に真摯に向き合う力を持った選手たちを相手に覇を争う。試合のみならず、大会期間は寝食を共にし、交流会やインテグリティ研修など、今までのリーグ戦や大会では得られない交流を図ることができる場こそがオールスター大会であると考えています。その想いをもって準備をしたからこそ、困難を乗り越え開催まで辿り着くことができたのだと考えています。全体を見て適切な行動をするために必要なことは一個上の視点で見ることだと気づかされました」。

 自信を持って動くことでたくさんの壁にぶつかる。「だからこそ成長できた」と言う山根の言葉は説得力があった。(後編へこちら

(文/亀谷七海・専修大2年=専大付属)