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「もう野球はできない」の宣告から「準硬式を選んで良かった」と言えるまで/専修大・中村哉太

今年行われた全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会は、雨天のため中止となった。しかし、自然と目を惹かれる選手を見つけた。現在、専修大で活躍する中村哉太選手(かなた、2年=専大松戸)である。そんな彼に話を聞いた。

専大松戸時代の中村。高3夏の千葉県代替大会ではチームを準優勝へと導いた

■小5の春に股関節の難病を発症。「母が涙していたのを覚えています
「きつい練習を休みたい」。
野球を続けてきた誰もが一度は思うのではないだろうか。しかし、今まで続けてきた野球ができなくなる、そんな状況に直面したらどんな気持ちになるか一度考えてみてほしい。
 中村哉太は小学5年生の春、早期に治療介入をしなければ永続的な障害を残すこともある難病を発症した。病気の部位が股関節だったこともあり、医師からは「もう野球はできない。諦めてほしい」と告げられたと言う。
「宣告されたときに隣で母が涙していたのを今でも覚えています。幼稚園の頃から続けてきた野球ができなくなると言われたのでショックでした」。
そのあとに入院。一度は退院するも松葉杖での生活が続いた。
「みんなと同じスピードで歩けないこと、走れないことが辛くて。全く運動ができなかったので孤独な気持ちでした」。
 小学6年生のときに手術を決意。6時間に及ぶ大手術は無事に終わったが、それでもなお医師からは野球は諦めるよう言われた。
しかし、決して中村は諦めなかった。
「野球が大好きなので、諦められませんでした。野球ができるようになったら、病気と告げられた時に泣いていた母を笑顔にできるかな、喜んでもらえるかな、と思って」と、真っ直ぐに諦めなかった理由を語ってくれた。それから懸命にリハビリに取り組んだ。そして、中学1年生の冬に野球ができるほどまで運動機能を回復させた。
「この病気を発症して、ここまで運動機能を回復させた事例はないそうです。後にこの事例は学会で報告されたと聞きました。諦めずにリハビリを続けて良かったなと思いますし、今でも諦めない意志は誰よりも強いと胸を張って言えると思います」。

■高3夏に準優勝。昨秋の準硬式甲子園大会選抜メンバーに抜擢
 中学、高校と野球に没頭した。高校は千葉県の強豪、専修松戸に進学。レギュラーとして活躍した。悔しくも新型コロナウイルスの影響で夏の甲子園が中止となったが、諦めずに戦い3年の夏の代替大会は準優勝に導いた。
「甲子園中止を受けて、実は一度チームは崩壊しかけました。しかし、森岡(健太郎)部長からこのチームで野球ができるのはこの夏が最後だ、というお言葉をいただきました。その言葉をきっかけに全員の気持ちに火がついて準優勝を掴むことができました。心から最高のチームだったと今でも思っています」。

11月の甲子園大会の前日に行われた練習試合では、9番レフトでスタメン出場し左前安打を放った

 大学では、アルバイトや勉強と部活動を両立できるという点から準硬式野球を続けることを選択した。所属する専修大では1年次から試合に出場。2021年夏に行われた全日本選手権大会準優勝に大きく貢献した。努力が実り、初開催された2022年の全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会に選抜された。「率直に嬉しかったです」と選ばれた時の心境を語る。
 甲子園での試合は、雨の影響で中止となった。筆者も中村と同級生であるが、高3夏に続く2度目の「甲子園中止」はなかなか精神的に苦しかった。しかし、中村は来年度に向けてもう前を向いていた。

■病気などでやりたいことができない子も、諦めないでほしい
「甲子園で試合をしたくて始めた野球人生です。道を絶たれた後悔と絶望は必ず甲子園で晴らしたい。来年、また開催されるのであれば諦めずにもう一度目指します」。
 中村の病気は未だ完治しておらず、通院しながら野球を続けている。
「まだ患部に痛みが出ることもあるので、無理しない程度に練習に取り組んでいます。チームメイトはそのことを理解してくれていますし、準硬を選んだことで大学生活がとても楽しくなりました。チームメイトにはとても救われています。野球を諦めなかったことで、甲子園大会にも選抜してもらえて本当に準硬式野球を選んで良かったと思います」
「今現在、病気や何かしらの理由で運動ができなかったり、やりたいことができない子はたくさんいると思います。でも決して諦めないでほしいです。なにかモチベーションを見つけて頑張ってほしいです。モチベーションは自分を成長させるために1番大事なもので、欠かせないものです。僕は夢に向かって走り続ける選手になります。来年甲子園大会が開催されたら、諦めなかった成果を見せます。皆さんも、絶対に夢を諦めないでほしいです」。
 太陽のように明るく人一倍甲子園に対する思いが強い中村が、来年、晴天の甲子園で輝く姿を切望する。

東日本選抜メンバーとして持ち前の明るさを発揮した中村。甲子園大会は雨天中心となったが「新しい仲間ができました」と笑顔で話した

(文/今井瑠菜・日本大2年=日大鶴ケ丘)