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「甲子園を目指せる準硬式」がモチベーション/国士舘大・駒崎、専修大・水村

国士舘高のチームメートで現在は国士舘大でプレーする駒崎友哉投手(2年)と、専修大の水村颯一郎選手(2年)は「あの時」の記憶を今でも鮮明に覚えている。2020年甲子園大会中止の経験だ。2人が準硬式を選んだ理由、そしてこれから目指す「甲子園」について語ってもらった。(メイン写真は、国士舘高1年のとき甲子園で応援する駒崎、水村)

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■「家族のうれしそうな顔」のために
「中止と聞いた直後は『そうなんだ』としか思わなかったんですが、自分よりも親の方が落ち込んでいて、今までは自分のために野球を頑張っていたけれど、自分が野球をすることを応援してくれている人がたくさんいたんだと実感しました」と水村。

 駒崎も同じで、中止決定にどこか他人事のような気持ちであったが「自分はおばあちゃんっ子なんですけど、近くに住んでいる祖母が両親と同じくらい悲しんでいて、それを見た時に初めて事の大きさを実感して、涙が溢れてきました」と語る。

 二人は2年秋の東京秋季大会で優勝し、センバツへの出場権を獲得した。センバツは中止となったが、代替大会として夏の甲子園で交流試合を1試合経験することができた。観戦は家族のみが認められた。

「高校1年生の時は補助員だったので、かっこいい姿は見せられなかったんです。でも高校3年生の時はベンチメンバーだったので、喜んでくれました。」(駒崎)

「自宅に帰って試合の録画を見ていたときに、時々映る嬉しそうな家族を見て自分も嬉しかったです」(水村)

 甲子園では磐城に4―3で勝利。1試合のみで終わったが、コロナ禍に翻ろうされた高校野球を、自分の中で区切りをつけることができたと言う。

 

■「一緒に準硬式の世界で勝負しないか?」と誘われて
 高校野球を引退したあと、二人の野球への熱は冷めるどころか、より高まった。水村は「甲子園(代替大会)で試合がでたことで、逆に野球を続けたいと強く思いました。バットが金属なので、体の小さい自分でも、高いレベルで勝負できる準硬式野球が自分に合っているのではないかなと思い選択しました」。実際、準硬式では小柄で低身長の選手も多く活躍している。水村はそこに惹かれて入部を決めた。

 駒崎は高校時代、練習の虫と言われたが甲子園での登板がなく悔しい思い経験した。進路を決めるとき、水村から「一緒に準硬式の世界で勝負しないか?」と誘いを受け、同じ東都リーグの国士舘大に進もうと決めた。専修大に進む水村と準硬式を盛り上げたいという密かな野望もあった。別々の大学に進んでもともに切磋琢磨し合う存在となった。

 水村は1年目からレギュラーをつかみ、1番打者で活躍。駒崎も1年目から登板し、エースである高地洋輔(4年=山形中央)と共にチームの二枚看板として活躍した。関東選手権では昨年度優勝校の中央大相手に9回2失点と活躍し、準優勝。「選んだ道が間違いではなかった」と口をそろえる。

関東選手権で準優勝に貢献した国士舘大・駒崎友哉(2年=国士舘高)

東都1部リーグ戦で1番打者で活躍する専修大・水村颯一郎(2年=国士舘高)

■もう一度夢見る、甲子園の舞台
 今年、連盟75年で初の試み「全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会」が甲子園球場にて、11月13日(日)に開催された。この発表を聞いた数カ月前、二人は代表入りへエントリーをした。2年前の気持ちをもう一度思い出し、あの時の家族の顔を思い浮かべ、選考が決まるまでの間、駒崎は走り込みと身体のケアに徹し、水村はバットを振り込んだ。

 結果的に、二人の希望はかなわず落選となった。それでも水村は「今回は選ばれませんでしたが、もう一度甲子園を目指せたことが今後も練習に励むモチベーションになりました。来年こそは選ばれたいです。」と話し、駒崎も「落選しましたが、野球人生の目標である甲子園を準硬式で目指せると聞いてすごく気合が入りました。来年もチャンスがあれば選んでもらえるような成績を残したいと思います」と語る。

 来年以降もこの大会が継続されれば、あと2回チャンスがあるかもしれない。そのことが、今、新たなモチベーションとなっている。

 再び聖地に立つ日が実現したら、ひそかに考えていることが二人にはある。それは、家族を甲子園に連れていくことだ。「今度はマウンドで投げている姿を見せたいです!」(駒崎)「今度は球場内から家族の喜んでいる姿が見たいです!」(水村)。

 (文/日本大2年=日大鶴ケ丘・今井瑠菜)