大会第1日目で全日本学生委員の大部分はそれぞれの地区に帰ることとなり、筆者も帰京することとなった。
筆者は2球場計5試合を見て、全国レベルの準硬式野球を体感することができた。
試合前後は取材をすることが非常に厳しく、タイミングが合い、新潟大学の主将でエースの伊藤駿太(3年=日立第一高)に話を伺うことができた。
伊藤は初回こそ変化球の制球に苦しむも、力と制球力のあるストレートで近畿大学打線を翻弄した。また新潟大学は指名打者を使っておらず、打者としても打席に立ち文字通り泥まみれになりながら奮闘する姿が非常に印象的だった。
伊藤は医学部保健学科放射線技術科学専攻であり、勉強と準硬式野球との両立をしている。伊藤は4年生から実習があるため、3年秋で引退であり全日本選手権は非常に大きなイベントとなっている。
伊藤は高校時代サイドスローに挑戦し4番手投手としてくすぶっていた。当時は、高校生活に歯痒さを覚えていたという。高校時代は真剣勝負で厳しい環境に身を置いており、「もう野球はやらないでいいかな」と考えていたという。しかしながら人が野球をしているのを見て、「やっぱりもう一度野球をやりたい」というマインドに変化していった。
準硬式野球は伊藤の気持ちを受け止めた。「(準硬式野球部に)入ってみたらガチではないけど、楽しくやれる環境にすごく満足しています」と言葉を噛み締めながら語った
ただ、準硬式野球部にはいって“準硬ならでは”の苦労にも悩まされたという。
兎にも角にも、練習量だ。木曜日と土曜日の週2回で練習を行い、特に木曜は授業の関係で来れない部員もいるという。その限られた中で勝てるチームを作ることは中々難しかったという。
また、全日本選手権前は雨の影響などもあり、約1ヶ月間練習ができなかったという。
そんな中でも主将である伊藤は折れなかった。折れなかったというより、支える仲間がいたという表現のほうが正しいだろう。今日の試合でも捕手の小澤諒祐(3年=松本深志高)がしきりに声をかけ、アドバイスをし、そのアドバイスに伊藤も応え変化球の制球が安定してきた。試合はチームの縮図である。伊藤は準硬式野球部に入ってから準硬式野球だけでなく、心強い仲間と出会い野球のセカンドキャリアをしっかりと歩んでいる。
伊藤はMAX約144km/hを記録し、北信越地区選抜にも選ばれた。そこで得た学びや成長はもちろん大きいだろう。しかし1番伊藤を成長させたのはともに戦った仲間達だ。そんな仲間達との思い出に全日本選手権はうってつけだった。「3年ぶりに全日本選手権に出場させていただいて、3年前も近畿大学さんと対戦して敗退しました。今年は近畿大学さんという強豪校に勝つことができて、本当に嬉しいです」(伊藤)。
次戦は明日24日の11:30プレイボールとなかなか厳しい条件で、伊藤の状態も未知数であり総力戦にしたいと語った。
新潟大学の団結力で勝ち取った1勝に拍手を送りたい。
(文・青山学院大学 山田力也)