
150キロを投げる投手と聞けば、多くの人はエリート街道を歩んできた選手を思い浮かべるだろう。しかし、日本大学準硬式野球部の首藤玄大(4年=日大豊山)は違う。小中高と大きな実績はなく、高校最後の夏も主役ではなかった。それでも野球を続けられたのは、どんな時も変わらず支え続けてくれた家族の存在があったからだ。朝早く起きて弁当を作り、雨の日も玄関先で見送る母。試合があるたびに球場へ足を運ぶ父。その思いに応えたい一心で歩み続けた先に、甲子園のマウンドと150キロという景色が待っていた。「実績がなくても、野球はまだ終わらない」。その言葉は、伸び悩む高校球児たちへの力強いエールでもある。
*********************
「野球でしか恩返しできないんです」
2026関東オールスター大会に参加中の最速150キロ右腕、日本大学準硬式野球部・首藤玄大(4年=日大豊山)は、少し照れくさそうにそう話した。
150キロという数字だけを見れば、誰もが「才能あるエリート投手」を思い浮かべるだろう。だが、そのイメージは本人の歩んできた野球人生とは少し違う。
「小学校から高校まで、全然結果が出ませんでした」
中学では部員不足で合同チーム。高校でも最後の夏はほとんど投げることができなかった。硬式野球部への挑戦もかなわず、大学では準硬式野球を選んだ。
決して順風満帆ではない。
それでも野球をやめなかった理由を尋ねると、答えは迷いなく「家族」だった。
兄弟は4人。その中で、自分だけが寮生活を送り、野球に打ち込ませてもらった。
「わがままを全部聞いてくれました。」
遠征の送り迎え、生活のサポート、野球中心で回る毎日。
大学生になっても、お母さんは朝4時半、5時に起きて弁当を作り、玄関の外まで見送りに出る。
「雨の日でも必ず外まで来てくれるんです」その姿を当たり前と思ったことはなかった。
リーグ戦では、自分が登板しない試合でも母親は球場へ足を運ぶ。
150キロを投げても、大騒ぎはしない。
「良かったね」
チームが勝った時、静かにそう声を掛けてくれる。
派手に褒めるわけでもなく、チームの全体の勝利を喜んでくれた。
その何気ない一言が首藤を支えてきた。
手術を経て、甲子園でできた初めての恩返し
大学2年春には膝の大怪我を負った。
手術を受け、復帰まで約9か月。
焦りも不安もあった。
それでも腐らなかった。
「お父さん、お母さんに、いい形で恩返ししたい」
その思いだけは変わらなかった。
そして迎えた昨秋11月の甲子園大会。家族がスタンドに集まった。
そこで先発し148キロを計測。多くの観客を沸かせた。
首藤にとって最もうれしかったのは、数字ではなく、
マウンドに立つ自分の姿を親に見られたことだった。
「自分は、野球でしか恩返しができないと思うんです。関東オールスター大会で引退を考えていますが、この先は社会人野球でプレーしたい。そして都市対抗で東京ドームのマウンドに立つ姿を見せたい。その先にプロがあるなら、プロでも投げる姿を見てもらいたいと思っています」
首藤にとって野球は、自分の夢をかなえるためだけの競技ではない。
支えてくれた家族へ、「ありがとう」を伝える手段なのである。
高校時代、目立った実績はなかった。
だからこそ、今の高校生へ伝えたい言葉がある。
「小中高で実績がなくても、野球はまだ終わりじゃない」
150キロを投げられるようになったことよりも、その言葉のほうが、はるかに力強く聞こえた。
(取材・文/樫本ゆき)