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未経験から甲子園の解説席へ。J・Kで辿り着いた憧れの舞台

 2025年11月、第4回東西対抗日本一決定戦は西日本選抜が初優勝を果たし幕を閉じた。大会では最速152キロ右腕、日本大学・竹川葉流(3年=都立江戸川)が甲子園で149キロを計測、金沢医科大学・長森大将(5年=福岡大大濠軟式)がホームスチールを成功させる活躍が大会を彩った。

 その一方で、もう一つ注目を集めたのが中継での学生解説だ。今大会はYouTubeで生配信が行われ、実況はプロアナウンサーの工藤聖太さん、解説は学生が担当。その解説者に自ら立候補した一人が、金沢大学の佐々木由翔だ。

「二度とないチャンスだと思った」

 佐々木は2024年、ボールパーソンとして甲子園大会を経験している。高校まで野球未経験で、一関第一高校の軟式野球部で野球を始めた佐々木。甲子園は縁遠い場所、テレビで見るもの。そんな憧れで終わってしまうと思っていた場所に足を踏み入れる日が訪れてくるとは思いもしなかった。大会の案内が届いたとき、迷いはなかった。

「二度とないチャンスだと思った」

 ブラスバンドが響く球場、全国トップレベルの選手やスタッフが懸ける想い。そのすべてを肌で感じた。

「甲子園からもらえるパワーに感動しました。次の日から日常生活のモチベーションが一気に上がったんです。この空気感、臨場感を自分の言葉で後輩達に伝えたいと思いました。」

 芽生えたのは、伝える側への想いだった。準硬式野球の魅力、選手やスタッフが背負うもの。その熱量が内部だけで完結してしまうのはもったいない。その思いが、今回の解説者への挑戦へとつながった。

自分の言葉で試合を伝えるために、「J・K」を徹底した

 解説として試合を伝えるうえで、佐々木が徹底していたのが「J・K」——準備と確認だった。選手アンケートをGoogleフォームで収集し、プレーの特徴や背景を整理。さらに選手一人ひとりへ直接インタビューを行った。大会前日の夜まで続いた取材。睡眠時間を削りながらも、選手たちの思いを言葉として束ねていった。

その姿勢は、決して今回に限ったものではない。

 原点は、一関一高軟式野球部時代にあった。毎日提出が課されていた野球ノート。そこに書き続けてきたのが、課題と改善策、そして次に備えるための「準備」と「確認」だった。高校から野球を始めた佐々木にとって、当初はルールすら曖昧な状態。それでも当時監督を務めていた三浦京介監督は特別扱いをしなかった。分からないことをそのままにせず、自分で考え、自分の言葉で整理することを求めた。

なぜそのプレーが起きたのか。次に同じ場面が来たらどうするのか。

一つひとつを言語化し、ノートに書き続ける日々。その積み重ねによって、「J・K」は習慣として身体に染みついていった。

技術で劣るからこそ、準備で補う。
想定できるプレーはすべて事前に整理し、確認する。

グラウンドでの練習に加え、ノートに向き合う時間もまた、成長の土台となった。

そしてその「J・K」は、解説席で自分の言葉で試合を伝える力として発揮された。

当日の野球ノート。三浦監督から厳しく愛のある言葉が記されていた

 中継の中で佐々木はこう語った。

「本当に夢にも思わなかったこの舞台が今、目の前にあって、先ほどグラウンドレベルに立たせていただいて、自分もワクワクしています」

甲子園のグランドを見つめながら今までお世話になった人の顔が浮かんだ。
さまざまな想いを乗せて紡がれたその言葉は、また誰かの挑戦を後押しする。
そしてその先に、次の甲子園大会を彩る新たな選手が生まれてくるはずだ。

 

文・鈴木隼人