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最後の夏に投げられなかった“3番手”が、恩師のためにもう一度甲子園を目指す理由

神奈川の公立強豪・県立相模原高校で育った岡本健吾(法政大Ⅱ部・新3年)は、最後の夏に一度もマウンドへ立つことができなかった。その悔しさと、佐相眞澄監督への思いを胸に大学準硬式野球界へ。法政大学Ⅱ部のエースとしてチームを2部昇格へ導いた。岡本が見据えるものは「甲子園のマウンド」。それは、自分の夢であると同時に、恩師への恩返しでもある。野球推薦のない選手から成るチームの主将を小野寺百花(新4年=宮城第一)が取材した。

公立の名将との出会い。野手に専念したかったはずが・・・

 2025年11月10日、亜細亜大学との東都2部・3部入れ替え戦。延長10回の末、法政大学Ⅱ部は5―3で勝利し、2年ぶりの2部昇格をつかんだ。

延長10回裏、2死一・二塁。一打同点にされる場面で、法政大学Ⅱ部の岡本健吾投手がピッチャーゴロをさばき一塁に送球。試合終了の瞬間、歓喜の輪の中で喜びを爆発させた。

「あの時、やっと報われたと思いました」といま振り返る。

ここまでの道は決して楽ではなかった。


 法政大学II部のエースで、2026年からはキャプテンも務める岡本。その原動力の根底には、高校時代の悔しさがある。

神奈川県の公立強豪・県立相模原高校に進学。「公立高校の名将」と呼ばれた佐相眞澄監督との出会いが、野球人生を大きく変えた。

高校入学時、岡本は野手希望であった。ところが入部から1か月後、監督から突然「お前、ピッチャーをやれ」と告げられる。
「中学時代はピッチャーだったので、それがバレたのか?と驚きました。理由を言われなかったけど、その通りにしました。佐相先生から打撃を教わりたかったので、最初は野手希望にしていたけれど、やっぱり自分はピッチャーが好きだったのかもしれない。未練も少しあったので、ちょっと嬉しかったというか、とにかくやる気が湧いてきました」

コロナ禍の転機、サイドスローへの挑戦

 しかし高1の秋、野球部はコロナ感染によって活動自粛となってしまう。その間、ダッシュやランメニュー、自重トレーニングなどをしていた。その中で岡本は、公園や家の前でできることを続け、先生にはピッチング動画を送り、フォームを修正してもらっていた。自主練の動画を監督へ送り続ける中で、またしても転機が訪れる。

「サイドスローにしてみろ」

この時も迷いはなく、「はい」と即答した。

「当時、現状に息詰まっていて、このままだとBチームの選手で終わるなって感じていました。自分自身、ピッチングにおいては普段からいろいろなことを試して、自分に合う合わないを研究するようなことばかりしている選手だったので、サイドスロー転向には抵抗がなかったです。あとは先生の言った通りにしておけば、試合に使ってもらえると思ったので(笑) これは今でも思うことですが、どんなスタイルでも自分が活躍することが1番楽しいと思うんですよね」

 当時同級生で、同じサイドスローだった小林理瑛(筑波大硬式野球部=新3年)とお互いの動画を確認してフォームを研究した。肘を下げたことでオーバースローの時よりスライダーが大きく曲がるようになり、空振りも取れるようになった。小林とは今でも動画を送り合っているそうだ。

 フォーム変更後、岡本の球速は5〜6km/hアップ。紅白戦で結果を残し、Aチームへ合流。結果を残し1年秋からAチーム入りし、2年秋に背番号を獲得した。

佐相監督のアドバイスを元にサイドスローに転向。肘の位置を変えるなど、
試行錯誤して安定感を手に入れた

最後の夏は1試合も登板できず、慶應義塾に敗戦

 同学年にはライバルが多く、岡本は3・4番手。自身の調子が上がらないまま、2023年神奈川県大会、最後の夏を迎えた。背番号は11番だった。

横浜緑ヶ丘高校との3回戦は、20-3と大差で勝利したが、岡本に登板機会は回ってこなかった。慶應義塾高校との4回戦で、チームは0-10で敗戦。強打の県相打線が0点に抑えられ、完封負けだった。その後、慶應義塾高校が甲子園で優勝したことにより、レベルの差を実感することになる。
「大勝した3回戦でも出番が回って来なかったし、慶應義塾高校との4回戦でも登板はありませんでした。最後の夏に1試合も投げられず、監督にも親にも仲間にも申し訳なかったです。佐相先生に対しては、3年間どこまで自分に期待をかけてくれていたかは分かりませんが、野球人として成長させていただいた恩を返すことができず、本当に悔しかったです。でも、このまま野球人生を終わらせたくなかった。とても燃え尽きられるような終わり方ではなかったですし、まだまだ野球がしたい、もっと活躍したいと思ったんです」

準硬式で再び甲子園へ、恩師への恩返し

 高校野球引退後、受験勉強をしていた時に、SNSで準硬式の甲子園大会の存在を知る。
「また甲子園を目指せるチャンスがあるのか、準硬式いいかも」。

新たな目標を見つけた。
 2024年3月に法政大学に合格。野球推薦ではない一般入試の選手で構成された法政大学Ⅱ部(東都リーグ2部所属)に登録した。そこから順調に成長曲線を伸ばす。

 1年春リーグ戦から出場し、2年春の関東大会・日体大戦で先発。サヨナラ負けを喫したが、その悔しさを糧に、2年春リーグでは、小柄ながら最速143km/hを計測。先発投手が100投球未満で完封するマダックスを達成した。リーグの選抜選手による関東オールスター大会にも出場。2年秋リーグ戦ではさらに進化し、3部優勝をかけた三つ巴のプレーオフ・城西大学戦では、最終回2死満塁のピンチに1アウトリリーフの好投、同じく駒澤大学戦では完封し、優勝投手になった。そして前述の通り亜細亜大学との入れ替え戦でも2部昇格の立役者となった。

3部優勝、2部昇格。チームの大躍進を支えたのが、岡本投手だった

「甲子園に出るために活躍する」。ラストシーズンにかける意気込み

 そして2026年、集大成の1年が始まった。
新チームになって初めての公式戦・関東大会の初戦をまもなく迎える。

「関東大会の組み合わせを見て驚きました。1回戦が駒澤大学、2回戦に亜細亜大学と昨秋に対戦した相手が集まったから。でも、勝ち進めば待ちに待った“法政対決”です。法政(東京六大学)に勝ってベスト8入りしたいです」

初戦は、10日(火)アイル・スタジアム浦和で迎える。

今年の最大の目標は「甲子園のマウンドに立つこと」
そのために、チームとしては2部優勝、個人としては最速150km/h到達に挑む。

「佐相先生は、僕がブルペンでピッチングをしていると近くに座り始めて『もっと手首を立ててみろ』とか、過去の先輩方の名前を挙げて『あいつはこうしていたからお前もやってみろ』など細かいアドバイスをしてくださりました。準硬式野球で甲子園のマウンドに立つことができれば、昨年他界した佐相先生の思いを連れて行けると同時に、先生への恩返しが果たせる。そう思っています」


▷関東大会組み合わせ

2026関東大会 トーナメント表.修正版.xlsx

「なかなか結果が出ない自分に、佐相先生は最後まで見捨てず声をかけてくれました」

(取材・文/法政大学Ⅱ部4年・小野寺百花=宮城第一)