
2025年11月21日、第4回東西対抗日本一決定戦が阪神甲子園球場で開催されました。全日本大学準硬式野球連盟(JBA)の連盟創設77年の挑戦です。なぜこの大会が始まったのか? 高校時代に甲子園優勝を経験した杉山智広ディレクターが、学生たちに最高の挑戦舞台を提供するためです。この大会は次の100年に向け、社会で活躍できる人材の育成を目的とし、150キロ剛腕や10人の医学部学生といった多様な才能が躍動する「新しい形」の舞台として注目を集めています。改めて大会が始まった経緯と意義を振り返ります。
「甲子園を目指す、あのワクワク感」
杉山氏は高校時代に甲子園で全国制覇を経験しており、満員の甲子園スタンドの中で、深紅の優勝旗を授与されました。そのときの記憶を「ずっしりとした重たい感触が20年以上過ぎた今も手に残っている」と振り返っています。
しかし、大学で準硬式野球に進んだ杉山氏を待っていたのはカルチャーショックでした。使うボールは違うものの、同じルールでやっているのに、甲子園の満員を知る者から見ると、準硬式の「ガラガラのスタンド」は寂しく、なかなかモチベーションが上がりません。この経験をきっかけに「人間を成長させるにはどれだけ多くの人に見てもらえるかが大事なんだ」と確信を得ました。
杉山さんは、学生たちに最高の舞台を提供することで、挑戦する勇気を起こして欲しいと思い立ちます。この熱意により、2018年から甲子園プロジェクトは動き出しました。彼は、甲子園を知っている身として、学生たちに「甲子園を目指す前の、あのワクワクする気持ちを感じて欲しい」と思ったのです。

多様な才能と努力が報われる「新しい形」の舞台
杉山氏は、東西対抗戦を「大学準硬式の定例イベントにしていくため」に、第1回(2022年)を「絶対に成功させなくてはならない」と考えていました。しかし第1回は雨により試合直前に中止が決定。プロジェクトリーダー、近藤みのりさん(当時:愛知大学4年=桜台)が観客に訴えた涙のスピーチは伝説となりました。


大会のもうひとつの目的は、大学準硬式野球の認知度向上を図ることにあります。単に試合をするだけでなく、キャリアガイダンスや上田大介氏によるインテグリティ研修、Baseball5体験などを通して、学生を社会で活躍できる人材に繋げることも目指しています。学生たちが自ら考えて準硬式を広め、価値を高めていく。この力が、職場でも役立つと考えているからです。3泊4日の大会日程は、従来の成績重視の大会とは異なる、ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包括的)を体現する場となっています。
東西各25選手の選考基準は、技術(注目されるためには必要)だけでなく、人間性やフレッシュさ、そして「チームの成績は一切関係なく、個人の努力」を重視しています。これは、「大会で勝てなくても下向きに頑張っていたら、甲子園というこういう可能性があるんだということをみんなに感じて欲しい」という意図があるからです。
甲子園に集ったのは、剛腕と知力に優れた集団だった
・「非逸材」から急成長した剛腕
最速152キロ右腕、日本大学の竹川葉流投手(3年=都立江戸川)が甲子園で149キロを計測。球速の出にくい球で複数の投手が140キロ後半を計測するなど、準硬式野球のレベルの高さを証明しました。
• 文武両道を体現する医大生10人
医学、歯学、薬学系統など全国の様々な大学 から、10人の医学部学生 が選出されました。彼らは、進級試験や国家試験の勉強をしながら、高いパフォーマンス力を両立できるという、準硬式野球の真骨頂を甲子園の地で体現しました。


「部活と学業をシームレスにつなぐことができるのは医学生選手の特権」と考察する
実際に、福井大学医学部の谷本遼介選手(6年=洛星)のように「野手出身の医学生が研究によって甲子園に立つ」という「新しい道」が注目を集めました。また、西日本選抜は、25歳の金沢医科大学・長森大将選手(5年=福岡大大濠軟式)がホームスチールという奇策を成功させ、初優勝を果たしました。
東西対抗日本一決定戦は、杉山ディレクターが学生時代に抱いた「最高の場所で野球をしたい」という思いを実現させ、準硬式野球の認知度と、学生たちの努力を報いる機会を一気に引き上げるための旗印として始まったのです。誰よりも尽力し、誰よりも熱い思いを持つ杉山氏は大会前、約80人の学生たちにこう言いました。
「僕ではなく、次はこの中の誰かがディレクターとなってこの大会を成功させてほしい。社会人になって、協賛会社として後輩たちを支えて欲しい。準硬式の次の100年を作るのは、君たちなのだから」。
この大会は誰でもチャレンジできる大会です。
来年はあなたが、選考会にエントリーし、ぜひ夢をつかんでください。

(編集部)