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医学生が北信越を制し、甲子園に立つまで。谷本遼介の「逆境を力に変える法則」

 

福井大学医学部 谷本遼介選手(6年=洛星)は「目の前のやるべきこと」に集中し続けました。E判定からの医学部合格、大学での遊撃から投手への転向、そして34回を独りで投げ抜いて北信越制覇。全国の舞台・清瀬杯で名を轟かせ、ついには甲子園のマウンドに立つまでに成長しました。鉄腕と呼ばれた男の、物語がここにあります。

始まりは、普通の野球人生

 今年の夏、福井大学医学部・谷本遼介(6年=洛星)は、清瀬杯第57回全日本大学選抜準硬式野球大会に出場し、全国にその名を轟かせた。そして11月21日、第4回全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦で甲子園のマウンドに立った。
 彼の野球人生の始まりは、小学2年生に遡る。
5年生までソフトボールで投手を務め、中学受験を経て洛星中では軟式野球部に所属した。1学年20人ほどのチームで内野手と捕手を務め中3で主将となった。内部進学で洛星高校に入学後、内野手から外野手へ。投手も兼任した。

…と、 ここまでは、一見普通の野球人生だ。



 しかし、谷本のターニングポイントは高3夏に訪れる。
夏の大会の初戦で先発を任され、初回3失点する。投手を中心に雰囲気が落ち込んでしまいそうだが、点差に一喜一憂せず、目の前の自分のすべきことにフォーカスしようと心に決め、とにかくボールを低めに集め続けた。その結果、チームは追いつき延長戦となり、勝利を手にした。
 この経験は野球以外の活動にも生きてくる。
その年の冬、センター試験を受けた。志望校に対する判定はE判定。しかし自分の気持ちに左右されずにやるべきことを行った結果、福井大学医学部に逆転現役合格を果たした。
 谷本の環境や気分に左右されずに自分のやるべきことをやり続ける「逆境に立ち向かう精神力」は野球によって培われたのだ。

小学生でソフト、中学で軟式、高校は硬式を経験。大学は内野手からのスタートだった

最速110キロからの投手転向は、研究の積み重ね

 福井大学医学部では、準硬式野球部に入部した。高校の時は、チーム事情もあり守備位置はバラバラだったが、大学では遊撃手を極めた。しかし、4年生の時に自分の遊撃手としての限界、主将としてチームを勝たせることができない苦悩の日々を過ごした。勝利に近づく一歩として谷本は選択した。それは、投手転向だった。
 彼は、投球についての知識が乏しく、当初の球速は110キロ台であった。しかし、パーソナルの野球コーチやSNSから学ぶなど使えるものすべてを使って、研究した。彼の大きな特徴は、無尽蔵なスタミナだ。週3日の全体練習に加えてウエイトトレを2日、休養1日、瞬発力系トレを1日。効果を生むため1週間の練習を合理的にスケジューリングした。
 投球フォームに適切なトレーニングを行うことで目的が明確になり、疲労を感じていても投げることができるようになった。自分自身を説明することができる投手に覚醒したのだ。
 大学5年生の春には、まずいプレーも指摘し合い、ポジティブに次を見据えた声掛け。キャプテンに頼り切らずチーム全員で同じ方向に向かっていく学年の垣根を超えた雰囲気づくりができてきた。チームを勝たせるためなら何でもするという仲間思いの谷本、そんな彼を後輩たちも慕い、限界まで努力し合う関係性ができた。
 
 
 2024年春季北信越大会。これまで予選リーグで敗退常連だった福井大学医学部はベスト4入りを果たす。谷本も2枚看板として活躍した。「この勝利は偶然ではないか?」と感じた関係者も多かったが、同年秋、谷本は秋季北信越大会にて4試合34回を1人で投げ切り、福井大学医学部を優勝に導いた。まさに鉄腕。論理的なフォーム改造で、精密なコントロールが身につき、計り知れないスタミナがついたのだ。
 2025年9月には3大全国大会の清瀬杯にも出場。谷本は9ブロック大会で北信越選抜メンバーに選ばれた。福井大学医学部の快進撃を疑う者は、もういない。


研究を重ね、北信越の鉄腕と呼ばれるまでになった

西軍初の勝利と「内容よりもとにかく楽しかった」の言葉

 ここからは私が密着した、今大会の谷本の話とする。
 彼の甲子園大会4日間に密着した。20日の練習試合。本番の起用を決める重要な試合で、彼は緊張からか「腕が振れない」と漏らしていた。この日の内容は1回2安打2四球2失点。「北信越の精密機械」と呼ばれたほどの谷本の顔が曇っていた。
「めちゃくちゃ悔しくて、落ち込んだ」という谷本。「野球人生最悪の出来」にベンチで声も出せなかった。
 その夜、谷本は考えを整理していた。彼が信じていたのは、気分に左右されず、目の前のことをこなすこと。「甲子園を楽しむことに徹したい」と話した。私は谷本の言葉を信じた。そして迎えた当日。甲子園のマウンドに5番手で登板した。


 先頭を二ゴロで抑えるも、死球、右前打、死球で1死満塁に。ピンチを作って降板した。(この回は無失点)。投球結果は0回1/3。打者4、13球、1安打、2死球、無失点。本来の投球とはならなかったが、昨日の谷本とは明らかに違っていた。腕が振れており、自己最速を3キロ更新する138キロを計測。そして何よりも甲子園の舞台で思わず笑顔が溢れていた。チームは初勝利し歓喜の輪でジャンプした。谷本の野球人生に悔いは一つも残っていなかった。
「内容よりもとにかく楽しかった。(後を受けた谷本)忠之にピンチを凌いでもらったのを含めて、悔いは無い」と言葉を残し、聖地を去った

正しい努力を、正しい方向に積み重ねた谷本の足跡

 卒業後は、整形外科医として野球選手を治療するだけではなく、自らが学んできたように動作解析など深い部分で野球と関わっていく。試行錯誤し、駆け抜けたJUNKOの6年間、これからは可能性あるプレーヤーたちにやるべきことを恩返しとして行っていく番だ。
 私は谷本という投手から「夢は正しい努力によって、必ず実現できる」ということを学んだ。がむしゃらに頑張り続けることも大切だが、周りに耳を傾け、その上で信じて努力を重ねる、そして学んだことを様々なことに生かすことができる柔軟な発想は新鮮だった。医学部の鉄腕と呼ばれた谷本遼介。その強さは、この先の医療の現場で、必ず誰かを救う力になる。

(文=西日本選抜チーム解説者兼北信越地区学生理事、金沢大学4年・佐々木由翔=一関第一)