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ぶつかり合ってつかんだもの。福岡大・山口主将が繋いだ108人の心

学生たちが自ら執筆する連載企画「学生が描く、第77回全日本大学選手権大会」。最終回となる連載第9回目は、九州地区編。2年ぶり63回目出場の福岡大学です。大会常連校の福岡大学は、昨年連続優勝が途絶え、苦しいシーズンを迎えました。山口紘輝主将(4年=西日本短大付)は、108人の部員をまとめる重責に悩み、仲間との衝突にも向き合いました。勝てない時期を乗り越え、絆でつながったチームの成長を取材しました。

衝撃のデビュー、そして選抜の4番へ

 全国大会常連校として知名度の高い福岡大学準硬式野球部。かつては埼玉西武ライオンズに大曲錬投手がプロ野球入団を果たすなど、九州を代表するチームの1つである。しかし、2024年に九州六大学連盟における連続優勝は途絶え、秋季リーグ戦では初戦敗退。春のリーグ戦でも勝ちきれなかった。そんな、苦しいチームを支えたのが主将の山口紘輝(4年=西日本短大付)である。
 1年秋のリーグ戦で満塁ホームランを放ち、打点王やベストナインを獲得。山口は衝撃のデビューを果たした。2年生から九州地区選抜に選出され、4番を務めると、3年生では阪神甲子園球場が舞台の東西対抗戦に選出され、フル出場。同日に行われた9ブロック大会決勝戦では九州選抜の主将として優勝。歓喜の輪に加わった。
 そんな順風満帆な準硬式生活において、自分のチームでは、主将として苦しむことが多かった。山口は言う。
「最も辛かったのは、108名の仲間をまとめることでした。部員全員の想いや温度感は決して同じではなく、ときにその差が大きな壁となった。どうすれば全員が同じ方向を向けるのか、正解のない問いに向き合い続ける日々でした」。
 結果が出ない時期には「自分の采配や声掛けが足りなかったのでは」と責任を背負い込み、仲間同士の意見が衝突する場面では必死に間に入り続けた。

部員108人の大所帯の福岡大。この夏は2年ぶりの全国大会に出場した

ケガの離脱、仲間が埋めた空白

 転機となったのは、2025年春の全日本選手権大会予選。山口自身は初戦でアクシデントに見舞われ、戦線離脱。しかし、その穴を埋めたのが苦しい時期も一緒に戦ってきた福岡大学の選手たちだった。山口のケガによって空いたライトのポジションには1年生の水迫幸太(=福大若葉)が入り、春のリーグでは捉えられる場面も多かったエースの原田陽太(3年=華陵)が独り立ちし、不安の抱えていた投手力の中で大黒柱として活躍を果たした。宿敵・久留米大学も撃破し、2年ぶりの全国切符をつかみ取った。
 全日本選手権大会では、最上級生の4年生と下級生の活躍がうまくかみ合う結果となった。初戦の徳島文理戦では先発の原田が7回無失点でチームに勢いを与えると、2回戦の東北学院戦では先発・戸上大樹(2年=筑紫中央)が好投を見せる。タイブレークに入ると、馬場陸翔(4年=佐賀北)のタイムリーで同点に追いつき、最後は池内巧(4年=八幡)のサヨナラタイムリーで13回延長の熱戦に終止符を打った。
 3回戦は大会屈指の左腕、専修大・竹村健太(4年=星稜)に苦戦するも、先発の原田も10イニング無失点の圧巻の投球を見せ、勝利し。ベスト4へと駒を進めた。
 準決勝では、先発の戸上が粘りの投球を見せるも、エラーなどから流れを失い、福岡大学の快進撃はここで終わることとなった。最終的には立教大学に2-3で敗れ、大会を終えた。

3回戦・専修大戦は1-0延長10回タイブレークの死闘となった

春のリーグ戦でエースとしての役割を果たした原田陽太投手(3年=華陵)

勝利に涙するチームへと変わった

 試合後の山口は「勝てない時期は、責任に押しつぶされそうになることもありました。 それでも仲間とぶつかり合い、支え合いながら前を向けた。日本一には届かなかったけれど、ベスト4という結果以上に、この1年間で得た経験と絆を誇りに思います」と語った。
 重圧も衝突も、悔しさも経験した山口の主将としての一年の最後は仲間やサポートしてくれたメンバーへの感謝の言葉であふれていた。聞くと、専修大学との試合に勝利した時、苦しい戦いに勝利したことで涙を流した選手がいたという。
 そんなチームを作り上げた山口の功績と思いは来年度、新主将である藤川寛大(3年=龍谷)が背負い、悲願の全日優勝へと導くことだろう。福岡大学の新たな1年に期待したい。

新主将の藤川寛大(3年=龍谷、写真中央)を中心に、悲願の全国制覇を目指し再出発した

(取材・文/福岡教育大学4年・川原巧太郎=春日)