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「野球が嫌いになりかけた」から全国へ。準硬式が変えた岡山大学主砲の野球人生

 学生たちが自ら執筆する連載企画「学生が描く、第77回全日本大学選手権大会」。連載8回目は、4年ぶり25回目の出場を果たした岡山大学です。「野球が嫌いになりかけた」。そんな苦悩を乗り越え、大内悠司選手の野球人生を大きく変えたのが準硬式野球でした。悔し涙を嬉し涙に変えた全国大会出場までの軌跡を綴ります。
(写真は、4年間大黒柱として活躍し、チームを4年ぶり25回目の全国大会に導いた大内悠司(4年=大手前高松))

準硬式野球との出会いと苦悩

 岡山大学の主軸、大内悠司(4年=大手前高松)は高校時代、有力な選手がそろっていたためレギュラーへの壁は高く、なかなか思い通りにいかない日々だった。自身の結果がなかなか出ず何度も野球が嫌いになりかけたが、それでも最後まで高校野球をやり切った。
 そんな大内が大学入学後に出会ったのが準硬式野球だった。きっかけは野球への熱意が忘れられないなか、参加した体験練習だった。純粋に大好きな野球を楽しむチームの雰囲気に引き込まれた。
「学業やアルバイトとの両立ができ、学生主体だからこそ自由に積極的に活動できるところに魅力を感じ準硬式を選びました」と語る。この選択により彼は一層野球の虜になる。
 彼が掲げた目標は「リーグ戦優勝、全国大会出場」。しかし、3年生春まではチームとして結果が出ず、個人としてもうまく結果が出ない時期もあり苦しんだ。
 チーム内での野球に対するモチベーションの違い、自分との目標の違いに悩んだそうだ。しかし、迎えた3年の秋季リーグ。チームは優勝を逃したもののリーグ2位となり、個人としても打順3番を打ち、高打率(.350)をマーク。一塁手ベストナインを受賞した。
 リーグ後のチームミーティングではここまでできるチームになったという喜びがあったが、優勝を逃した悔しさから涙を流した。残り少ない大学野球に悔いを残さないために冬場はグラウンドでもくもくとバットを振り続け、積極的にジムに通い日々トレーニングをするなど、より一層練習に励んだ。

ともに苦難を乗り越え戦った松本空(4年=益田、写真左)、井上恭宏(4年=姫路飾西、写真中央)と優勝を分かち合う瞬間

ようやく掴んだ夢への切符

 そして、大学最後の全国大会への切符がかかった4年の春季リーグ。岡山大学は見事春リーグで優勝し、全国大会出場を決めた。また、個人としても2季連続のベストナインを受賞。今まで流してきた悔し涙は、嬉し涙へと変わっていた。

「何度も諦めて逃げたくなった野球でしたが、それでも仲間と一緒に挑戦し続けた経験は一生の財産となりました。自分も一回りも二回りも成長することができました」

 準硬式野球と出会えたからこそできた経験を大内は振り返る。

「自分たちで考えて自主的に行動する積極性やチームワークは準硬だからこそ身についた力だと思います。また、普段は敵同士の選手と選抜チームを組み、レベルの高い環境で共に野球をすることで、自分の可能性を試し、新たな刺激を得られたことは大きな経験でした。」と大内は語る。

大内は試合中、常に声掛けをしチームを鼓舞し続けた

 全日本選手権大会では2回戦で専修大学に敗れ、全国の高い壁にはじき返され悔しい結果に終わったものの、長年目標としてきた「全国大会」という夢舞台でプレーできたことで、最後まで笑顔で終われた。苦しい状況でも大声でチームを鼓舞し引っ張っていった。これまで経験してきた苦悩とそれを何度も跳ね返してきた自信が、ブレない心の強さを齎したのだ。
 4年ぶりに全国大会に出場した岡山大学。上位進出は果たせなかったが全国でしか経験できない野球の楽しさを感じた。来年もう一度全国の舞台に戻って、成し遂げられなっかった1勝を手にしたい。準硬式野球の魅力を大切にしながら野球を楽しむことをモットーに今後も日々練習に励んでいきたいと思う。


(取材・文/岡山大学2年・池下颯真=高松一)